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【古代の偉大な建築】世界の七不思議:古代から現代まで

コラム

「世界の七不思議」と呼ばれるものにはさまざまなバリエーションがありますが、一般に知られているのは次の7つの壮大な建築物です。

  1. エジプトのギザの大ピラミッド
  2. エジプトのアレクサンドリアの大灯台
  3. ギリシャのオリンピアにあるゼウス像
  4. ギリシャのロドス島に建てられた巨大な像
  5. トルコのエフェソスにあるアルテミス神殿
  6. トルコのハリカルナッソスにあるマウソロス霊廟
  7. イラクのバビロンに存在したとされる空中庭園

これらは、紀元前2世紀に活動した古代ギリシャの学者フィロンによって記録されました。

フィロンは冒険心旺盛な旅行者としても知られ、これらの建造物を「見るべき7つの奇跡」として紹介しました。

これらの名前は書籍や映画で頻繁に取り上げられていますが、ギザの大ピラミッドを除くと、他は廃墟になっていたり、完全に失われていたりするため、その実在が疑問視されているものもあります。

それでは、これらの建造物がどのようなものであったのか、順に見ていきましょう。

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1.エジプトのギザの大ピラミッド

ギザの大ピラミッドは「世界の七不思議」の一つで、エジプトにあります。高さ139メートル、底辺230メートルで、建設には約230万個の石が使われているんだよ。

「世界の七不思議」の中で現在も存在する唯一の建造物であり、世界遺産にも認定されているのが、エジプトのギザにある大ピラミッドです。

このピラミッドは古代エジプトの三代ファラオ、クフ、カフラー、メンカウラーの王墓として知られています。

クフのピラミッドは特にその規模が大きく、元々の高さは約147メートルでしたが、現在は侵食や盗難によって約139メートルになっています。

基底辺の長さは約230メートルに達し、構成される石の平均重量は2.5トンで、総数は約230万個に及びます。

この圧倒的な規模には、誰もが驚嘆するでしょう。

建設には3万人から10万人の労働者が投入されたとされ、当時の技術では電気も機械もなく、いかにしてこれほどの巨石を積み上げたのか、今なおその方法は謎に包まれています。

内部構造には複雑な通路や部屋が存在し、その設計の正確さにも驚かされます。

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2.エジプトのアレクサンドリアの大灯台

アレクサンドリアの大灯台は、エジプトのファロス島にあった、世界初の一つの灯台だよ。

この灯台は約134メートルの高さがあって、航海の安全を守る大事な役割を果たしていたんだ。

でも、地震で崩壊してしまったから、今はもう見ることができないんだ。

⇒アレクサンドリア灯台の復元予想図はコチラ(ウキペディア)

アレクサンドリア灯台は、プトレマイオス朝エジプトの創始者、プトレマイオス1世によって建造された、世界で最初の灯台の一つです。

この灯台はアレクサンドリア沖のファロス島に位置し、航海の安全を保障するとともに、国の富と発展を象徴していました。

灯台の建材には大理石が使われ、頂部には海の神トリトンの彫像が設置されていたため、装飾的でもあり機能的でもありました。

特筆すべきはその高さで、約134メートルもあり、これは現代の40階建ての高層ビルに匹敵します。

灯台の光源として使用された火は、鏡を使って増幅され、遠くの船にも見えるようにしていたとされています。

しかし、三度の地震による被害により崩壊してしまい、現在その姿を目にすることはできません。

それにもかかわらず、約1,700年間にわたってその重要な役割を担い続けたのです。

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3.ギリシャのオリンピアにあるゼウス像

オリンピアのゼウス像は、古代ギリシャの名工ペイディアスが作った、高さ約12メートルの巨大な彫像だよ。

ゼウス神が右手に勝利の女神を、左手には杖を持っていて、象牙や金、宝石で飾られた豪華な座に座っている姿が表現されていたんだ。

でも、800年後にコンスタンティノープルに移されてからは、その後の記録がなくなってしまったんだよ。

⇒オリンピアのゼウス像の想像図はコチラ(ウキペディア)

ギリシャ神話における最高神、ゼウスを模した壮大な彫像、オリンピアのゼウス像は、古代ギリシャの名工ペイディアスによって製作されました。

この像は紀元前435年に古代オリンピックの祭礼の一環として、ゼウスの聖域に奉納されたものです。

この像は、象牙と金、宝石で飾られた壮麗な大理石の座に据えられており、右手には勝利の女神ニケを、左手には杖を持つ姿で表現されていました。

立っていたとしたら、その高さは約12メートルにもなり、鎌倉の大仏と同様の大きさです。

ストラボンなどの古代の学者は、この像が立ち上がれば神殿の屋根を破壊するだろうと記述しています。

約800年後、このゼウス像はローマ帝国の影響下にあった時期にコンスタンティノープルへと移され、その後の記録は失われてしまいました。

後世には火事で焼失したとも伝えられています。現在、ゼウス神殿があった場所はギリシャのアテネ近郊にその遺跡が残っており、歴史的な探索が行われています。

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4.ギリシャのロドス島に建てられた巨大な像

ロドスの巨像は、太陽神ヘリオスを象徴する高さ30メートルの巨大な彫像で、ロドス島に建てられていたんだ。

この像は12年かけて作られ、船がその足元を通って港に入るデザインと言われていたけど、実際は島内の高台に立っていたと考えられているよ。

でも、像は建てられてから58年後に地震で崩壊してしまい、その破片は長い間その場に残されていたんだ。

⇒ロドスの巨像の想像図はコチラ(ウキペディア)

ロドス島、エーゲ海南東部に位置するこの島は、かつて太陽神ヘリオスを象徴する高さ30メートルの巨大な像で知られていました。

この壮大な彫像はリンドスのカレスによって製作され、完成までには12年の長きにわたりました。

「世界の七不思議」を唱えたフィロンは、このヘリオスの像を「人間の手によるものとしては最も完璧で最大の造形物」と称賛しました。

伝説によれば、この像は港の入口を跨ぐように建てられており、船はその足元を通過して港に入っていたとされます。

実際には、現代の研究ではこの説は否定され、像は島内の高台に立っていたと考えられています。

像は左手に剣を、右手には火を持った油の器を持っており、侵入する敵船に対して油を落として炎を放つという防衛機構を有していたと言われています。

しかし、像が完成してから58年後、ロドス島を襲った大地震により像は崩壊し、その破片はその場に残され、最終的には時の流れとともに消失してしまいました。

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5.トルコのエフェソスにあるアルテミス神殿

エフェソスのアルテミス神殿は、女神アルテミスを祀るために建てられた、とても大きな建物だったんだ。

高さ20メートル、幅55メートル、奥行き110メートルもあって、127本の大理石の柱が支えていたよ。

歴史を通じて何度も壊されたけど、信仰心から何度も再建されたんだ。

でも、キリスト教の広がりとともに、最終的には完全に破壊されてしまい、今はその昔の姿を見ることはできないんだよ。

⇒現在のアルテミス神殿の画像はコチラ(ウキペディア)

エフェソスに建てられたアルテミス神殿は、ギリシャ神話における女神アルテミスを祀るためのもので、高さ20メートル、幅55メートル、奥行きは110メートルにも及ぶ壮大な建築物でした。

パルテノン神殿の4倍の規模を誇り、127本の大理石の柱がその構造を支えていました。

今もその柱の一部が残されています。

この神殿は歴史を通じて何度も破壊され、その都度、アルテミスへの献身的な信仰により再建されました。

その壮麗さは国内外から多くの訪問者を引き寄せ、フィロンは「この場所の特別さは一目で理解できるだろう」と述べています。

しかし、キリスト教の普及に伴い、この神殿はキリスト教徒によって完全に破壊され、かつての美しさは今はもう見ることができません。

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6.トルコのハリカルナッソスにあるマウソロス霊廟

ハリカルナッソスのマウソロス霊廟は、トルコのボドロムにあった約45メートル高の壮大な建物だよ。

マウソロス王と彼の妻アルテミシアが葬られていて、400以上の大理石彫刻と屋根の戦車に乗る二人の像で飾られていたんだ。

長い間、この霊廟は街のシンボルとして輝いていたけど、15世紀から16世紀にホスピタル騎士団によって破壊されてしまったんだ。

後に行われた発掘でその美しさが再発見されたよ。

⇒現在のマウソロス霊廟の廃墟の画像はコチラ(ウキペディア)

ハリカルナッソスは、古代ペルシャ帝国下のカリア国の首都で、現在はトルコのボドロム地域として知られています。

この都市を治めていたのはマウソロス王で、彼とその王妃であり、後に女王となったアルテミシアがこの霊廟に葬られています。

霊廟は約45メートルの高さで、10階建ての建物に匹敵し、400を超える大理石の彫刻で装飾されており、屋根には戦車に乗るマウソロスとアルテミシアの像が飾られていました。

豪華なこの霊廟はハリカルナッソスの中心に建てられ、約1,700年間にわたって街の象徴として存在しました。

15世紀から16世紀にかけて、この地域を支配したホスピタル騎士団(聖ヨハネ騎士団、旧十字軍の一部)によって霊廟は破壊され、その後長い間忘れられていました。

19世紀から20世紀にかけての本格的な発掘調査で、その基礎や彫刻の断片が発見され、霊廟がいかに壮美であったかが明らかになりました。

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7.イラクのバビロンに存在したとされる空中庭園

バビロンの空中庭園は、「世界の七不思議」の中でも神秘的な存在だよ。

実際に存在したかは不明で、確かな証拠や遺構が見つかっていないんだ。

古代の記録によれば、この庭園は複数の層で構成され、豊かな植物が植えられ、水はユーフラテス川から引き上げられていたとされているよ。

王ネブカドネザル2世が彼の妻のために作ったという話もあるけど、最近の研究では、ニネヴェの王センナケリブが作った庭園と混同されているかもしれないと言われているよ。

⇒バビロンの空中庭園想像図はコチラ(ウキペディア)

バビロンの空中庭園は、「世界の七不思議」の中でも特に神秘的な存在とされています。

他の「七不思議」が具体的な証拠に基づいて実在が確認されているのに対し、バビロンの空中庭園の場合、確かな記録や遺構が発見されていないため、その実在が疑問視されています。

数名の古代の記述者がこの庭園に言及しており、その詳細な描写から、庭園は複数の層から成り立ち、各層には豊かな植物が植えられていたとされます。

水はユーフラテス川から先進的な機械を用いて引き上げられ、庭全体に配水されていたと言われています。

この庭園は、花々と樹木が豊かに咲き乱れる壮大な光景で、古代の重要な観光地であった可能性があります。

伝えられるところによると、新バビロニアの王ネブカドネザル2世が彼の妻のために建設したとされています。

しかし最近では、「アッシリアの王センナケリブがニネヴェに作った庭園がバビロンの庭園と混同されている」という説が浮上しています。

ニネヴェでの発掘や碑文により、センナケリブの時代に先進的な灌漑技術が存在したことが明らかになり、これが空中庭園の起源である可能性が示唆されています。

ニネヴェの庭園の正確な位置はまだ特定されていませんが、バビロンであれニネヴェであれ、かつて存在した「空中庭園」の真実を解明するためのさらなる調査が期待されています。

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歴史を通じて変遷した「世界の七不思議」

「世界の七不思議」というリストは、時代とともに変わってきました。

中世の世界の七不思議

  • イタリアのローマコロッセオ
  • エジプトのアレクサンドリアのカタコンベ
  • 中国の万里の長城
  • イギリスのストーンヘンジ
  • イタリアのピサの斜塔
  • 中国の南京にある大報恩寺瑠璃塔
  • トルコの聖ソフィア大聖堂

現代は、スイスに本拠を置く「新世界の七不思議財団」が、世界中からの投票を元に新たなリストを作成しました。

現代の世界の七不思議(2007年選定)

  • 中国の万里の長城
  • インドのタージ・マハル
  • イタリアのローマコロッセオ
  • ヨルダンのペトラ遺跡
  • ブラジルのコルコバードのキリスト像
  • ペルーのマチュ・ピチュ
  • メキシコのチチェン・イッツァ

これらの建造物は、未だに多くの謎を秘めていて、僕たちの想像力をかきたてるんだよ。これからも、これらの貴重な遺産を大切に守っていくことが大切だね。

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